[2日目](その3)
祇園祭
先頭の山鉾が到着予定の11時過ぎに、「烏丸御池」駅近くの「御池通」沿にある観覧席(指定席)に戻る。
祇園祭は平安時代に始まった八坂神社の祭礼。7月から1か月に渡り17日・24日の巡行に向け街に山鉾が立つ。
山鉾にはインドやトルコ絨毯が飾られ、左甚五郎など名だたる作家の作品もあり「動く美術館」とも呼ばれている。
「祇園」はペルシャ語の「ギャーン」=「魂」が語源らしい。
長刀鉾(なぎなたほこ)
鉾先に大長刀(おおなぎなた)をつけているので、この名で呼ばれる。
古来「くじとらず」で毎年必ず巡行の先頭に立つ。生稚児(いきちご)の乗るのはこの鉾だけである。
函谷鉾(かんこほこ)
鉾の名は、中国の孟嘗君(もうしょうくん)が鶏の声によって函谷関を脱出できたという古事による。
鉾頭の月と山型とは山中の闇をあらわし、真木には孟嘗君、その下に雌雄の鶏をそえている。
四条傘鉾(しじょうかさほこ)
織物の垂(さが)りなどをつけた傘と棒ふりばやしが巡行する古い鉾の形態である傘鉾の一つで、応仁の乱以前に起源をもち、傘の上には御幣と若松を飾る。昭和60年に再興された。
木賊山(とくさやま)
謡曲「木賊」に取材し、我が子を人にさらわれて一人信濃国伏屋(ふせや)の里で木賊を刈る翁をあらわしている。
御神体は腰に蓑をつけ、左手に木賊、右手に鎌を持つ。
鶏鉾(にわとりほこ)
天下がよく治まり訴訟用の太鼓に苔が生え鶏が宿ったという中国の故事の心を映したものという。
鉾頭の三角形の中の円形は鶏卵が太鼓の中にある意味を表すといわれる。
油天神山(あぶらてんじんやま)
古くから町内に祀られていた天神を勧請して作られた山で、油小路にあることから油天神山と呼ばれる。
正面に朱の鳥居を立て金箔置の社殿には天神像を安置する。
孟宗山(もうそうやま)
筍山ともいい、御神体は病身の母を養う孟宗が、雪の中で筍を掘り当てた姿を表している。
唐人衣装に笠をつけ右手に雪をかぶった筍、左手には鍬を肩にかついて立つ。
太子山(たいしやま)
聖徳太子が四天王寺建立にあたり、自ら山中に入って良材を求めたという所伝に基づき、他の山が真木に松を立てているのに対して、この山は杉を立てている。
菊水鉾(きくすいほこ)
町内の井戸、菊水井にちなんで名付けられ、鉾頭には金色の透かし彫の菊花をつけ、真木には彭祖(ほうそ)像を祀る。
昭和27年に再興され、昭和の鉾としての偉容を示している。
保昌山(ほうしょうやま)
丹後守•平井保昌と和泉式部の恋物語に取材し、保昌が式部のために紫宸殿の紅梅を手折ってくる姿を表している。
故事にちなみ、宵山には「縁結び」のお守りが授与される。
綾傘鉾(あやがさほこ)
山鉾の古い形態を残す傘鉾の一つ。大きな傘と、赤熊を被り棒を持った者が鉦(かね)、太鼓、笛に合わせて踊る棒振り囃子の行列。
白楽天山(はくらくてんやま)
唐の詩人白楽天が道林禅師(どうりんぜんし)に仏法の大意を問う姿である。
道林禅師は手に数珠と払子(ほっす)を持ち松の枝の上に座し、白楽天は唐冠をかぶり笏を持って立っている。
月鉾
昨日、特別搭乗した「月鉾」の登場!
鉾頭に新月型(みかづき)をつけていることから、この名前で呼ばれる。
真木(しんぎ)の中程に月読尊(つきよみのみこと)を祀っている。
屋根裏の草花図は円山応挙の筆。胴懸にはインドやトルコの絨毯を用いている。
月鉾見学後は、観覧席から退席し、昼食へ(以後、自由行動)。
昼食
昼食は、「御池通」沿にある中華料理「鳳城」。窓から山鉾が見える。
舟鉾(ふねほこ)
神功皇后の説話により鉾全体を船の形にし、舳先に金色の鷁(げき)、飛龍文様の舵をつける。
鉾の上には皇后と磯良(いそら)•住吉•鹿島の三神像を安置する。
放下鉾(ほかほこ)
鉾の名は真木の中程に放下僧の像を祀ることに由来する。
鉾頭には日•月•星の三光が下界を照らす形を示す。
前懸•胴懸には花模様のインドやペルシャの絨毯がある。
中華料理「鳳城」で巡行終了まで見届けてから、フリーで「上賀茂神社」へと向かう。
数々の山鉾を見学することで、京都の伝統芸能や祭りの魅力に心を奪われるとともに、その歴史や文化的な背景に深く触れることができ、充実したひと時を過ごすことができた(続く)。
コメント