[3日目]
3日目(最終日)は、朝食後、バスで1時間程の距離にある「貴船・大原」エリアへと向かいます。
貴船神社
貴船神社は、側を流れる清流・貴船川が鴨川の源流にあたり、また京都御所の真北に鎮座することから、“京都の水源を守る神”として歴代朝廷からも大切にされてきました。
また、水神である高龗神を祀り、古代の祈雨八十五座の一座とされるなど、古くから祈雨の神として信仰されてきました。
バス下車後、しばらく貴船川に沿って歩きます。
「貴船」という地名は、神武天皇(じんむてんのう)の母、玉依姫命(たまよりひめのみこと)が黄色の船に乗って大阪湾から淀川、そして鴨川を遡り、現在、神社の奥宮がある場所に水神「高龗神(たかおかのかみ)」を祀ったのが始まりだと言われています。
また、貴船は、古くは「気生嶺」「気生根」とも記載され、大地のエネルギー「気」が生ずる山、「気」の生ずる根源とされていました。
二の鳥居
社殿は、本宮・結社(中宮)・奥宮の3箇所に分かれて建っています。
本宮 南参道 春日灯籠
貴船神社(本宮)の境内は貴船川の西岸の高台にあり、この二の鳥居から朱色の春日灯籠が並ぶ石段を上った先に拝殿、本殿が建てられています。
本宮 南門
本宮 御神水
本宮 拝殿と手水舎
創建
貴船神社創建にまつわるものとして、2つの伝説が残されています。
1つ目の伝説は、はるか昔、丑(うし)の年の丑の月の丑の日に、貴船山の中腹にある鏡岩という大きな岩に、天から神様が降り立った、というものです。
2つ目の伝説は、第18代反正天皇の御代に初代神武天皇の皇母・玉依姫命(たまよりひめのみこと)が「黄船」に乗り、大阪湾から淀川・鴨川を遡り、源流である貴船川の上流に至り、この地に祠を建て水神を奉った、というものです。
この黄船が「きふね」と呼ばれる理由の1つとも考えられているそうです。
貴船神社の公式HPでは、以下のように説明しています。
『貴船神社の起源については、貴船大神が御鎮座することになった伝説が社記に残されています。
「国家安穏万民守護のため太古丑の年の丑の月の丑の日に、天上より貴船山中中腹鏡岩に天降れり」とあり、現在丑の日が縁日とされている所以でもあります。
また別の伝説には、約一六〇〇年前に初代神武天皇の皇母である玉依姫命が「吾は皇母玉依姫なり。恒に雨風を司り以て國を潤し土を養う。また黎民(れいみん)の諸願には福運を蒙(こうむ)らしむ。よって吾が船の止まる処に祠(ほこら)を造るべし」と宣り給い、現在の大阪湾から船に乗り、淀川、鴨川、貴船川を遡り、水源の地として現在の奥宮に至りました。清水の湧き出る霊境吹井(れいきょうふきい)を見つけた玉依姫がここにひとつの祠を建てたのが、貴船神社の起源と伝えられています。』(貴船神社公式HPより)
御祭神
本宮の御祭神は、晴雨を司る高龗神(たかおかみのかみ)。
高龗神の「龗」(おかみ)という字は「雨」に「口」が3つに「龍」と書きますが、龍の古語であり、龍は水や雨を司る神として信仰されていました。
由緒
「御祭神は高霊龍神(たかおかみのかみ)。水の供給を司る神。
創建年代は明らかでないが、第十八代反正天皇の御世に奥宮の水の湧き出すところに社殿を建てたという御鎮座伝説がある古社。
対岸鞍馬山の鞍馬寺は、平安初期の延暦十五年(七九六)藤原伊勢人が貴船明神の夢のお告げで建立したと諸書に出ているので、その当時すでに貴船の神は大きな力を具えていたことがうかがえる。永承元年(一〇四六)七月の水害で奥宮が被災、天喜三年(一〇五五)四月この地に本社を彩築した。
京都に都が開かれて当社は国の重要な神社となり、事ある毎に勅使(天皇のお遣い)が差し向けられた。特に当社には、日照りの時には黒馬を、長雨の時には白馬を献じて「雨乞い」「雨止み」の祈願がこめられた。「その数数百度に及ぶ」とある。平安時代の勅願社二十二社の一社で、延喜式名神大社、庶民の崇敬も篤く全国に二千社を数える分社がある。
古くは「貴布禰」と記したが「黄船」「水船」「木生嶺」「氣生根」などの表記も見られる。明治四年官幣中社となり 以後「貴船」の表記で統一された。
例祭六月一日」(原文ママ)
本宮 中門
牛一社(末社)
牛一社(ぎゅういちしゃ)は,貴船神社本宮の境内に鎮座し、祭神は木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)ですが、古伝では牛鬼が祀られていました。
貴船神社の創建に関する伝説の一つに、この山の中腹にある鏡岩に貴船明神が降臨したとする説があり、それに随伴したのが牛鬼とされています。
川尾社(末社)
牛一社から少し登った所に川尾社があります。
祭神は、罔象女神(みづはのめのかみ)で、病気平癒の神とされています。
往古、奥宮の「思ひ川」にあって川水を司る神でしたが、社殿の裏を流れる鈴鹿谷の下流に当たる現在地に遷され、川尾社と呼ばれるようになりました。
鈴鹿社(末社)
川尾社から少し登った所に鈴鹿社があり、祭神は、大比古命(おおひこのみこと)です。
もとは社殿裏側の鈴鹿谷上部にあり、伊勢神宮の大神を祀ったと伝わります。
権殿
鈴鹿社から上部は禁足地となっていて権殿が建てられています。
権殿は、社殿を造営・修理する間、神体を仮に奉安する場所のことです。
中門を出て鈴鹿川に架かる鈴鹿橋を渡ります。
本宮 北参道の鳥居
貴船の川床
有名な貴船の川床。料理の相場は、初日に行った「もみぢ家」よりも高め(食事はしていません)
大原の里
貴船から約40分で「大原バス停」に到着。
比叡山のふもと、四方を山に囲まれ心安らぐ田園風景が今も残る大原の里。
天台宗総本山の比叡山の北西麓に位置し、鴨川の支流のひとつである高野川が里を南西へと縦断しています。
響の道
大原エリアの散策コースは、花の道(片道 徒歩15分)、響の道(片道 徒歩15分)、春の道(片道 徒歩30分)、風の道(片道 徒歩40分)の4つあります。
本ツアーでは、「大原バス停」から「三千院」まで「響の道」を歩きます。
途中、一面に広がる赤しそ畑や清流、四季折々に移ろう花々などの自然豊かな田園風景に心癒やされながら、「三千院門跡」に到着。
京美茶屋(昼食)
自由昼食のため、拝観前の早めの時間帯に済ませることにし、三千院門前にある昔ながらの古い木造家屋「京美茶屋」に入店。
「にしんそばセット」を注文。にしんそばに炊き込みご飯と店内で手作りした出来立てのゆば(湯葉)が付いている。
三千院
天台宗の門跡寺院。有清園(ゆうせいえん)、聚碧園(しゅうへきえん)などの美しい苔の庭園を各自自由散策(別途拝観料700円)。
御殿門(ごてんもん)
聚碧園(しゅうへきえん)
有清園・往生極楽院
有清園・弁天池にある小島
広い三千院境内全体に広がる美しい日本庭園にとても心休まり、静かな環境の中で、自然の美しさや日本文化や歴史の素晴らしさを体感することができました。
京美茶屋(おやつ)
三千院拝観後は、先程入店した「京美茶屋」で気になっていた豆乳チーズケーキとバスクチーズを賞味すべく、再度入店(笑)。
🎵京都 大原 三千院 旅に疲れた女がひとり〜🎵(笑)
大原女の小径(おおはらめのこみち)
京都バス「大原バス停」から「勝林院•三千院」を参拝する際の徒歩用の小径(こみち)で、毎年4月下旬に実施されている「大原女まつり」において、大原女の時代行列が巡行するルートでもあります。
大原女の小径を中心に、大原の各所には「大原女石像」が配置されています。三千院の「わらべ地蔵」のような小さな石像です。全部で24体あり、すべて表情が違うらしいです。
京都駅
三千院から京都駅へ。出発までの自由時間に駅中の「星乃珈琲店」でコーヒーとカツサンドの間食。
京都駅15:33発の新幹線ひかり656号に乗車し、約2時間半の移動で東京駅に到着して今回の旅は終了。
最後に
今回の『「祇園祭」と京都神社巡り(下鴨神社・八坂神社・木嶋神社・大酒神社・上賀茂神社・貴船神社)』では、「祇園祭」の迫力ある雰囲気や日本の伝統文化と祭りの魅力に触れることができる素晴らしい旅でした。
また、下鴨神社・八坂神社・木嶋神社・大酒神社・上賀茂神社・貴船神社などの京都の歴史ある神社や「大原の里」などの美しい自然に触れ、京都ならではの魅力を存分に堪能できました。
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