国内旅行回想録1989年〜青森・秋田(前編:キリストの墓、迷ヶ平、十和利山)

キリストの墓

初めての海外旅行(トルコ)から1か月後の1989年6月、青森、秋田のミステリースポットを訪ねました。その辺りに、キリストの墓やエデンの園、日本のピラミッドがあると言われても、眉唾物と全く信じられない人も多いでしょう。ミステリー好きの友人と、青森県八戸駅からレンタカーに乗り、自分たちの目で確かめに行きました。

キリストの墓

f:id:YOSHI88:20210424123438j:plain謎の墓は、青森県三戸郡新郷村(旧戸来村)にあるとされている。八戸から十和田湖に向けて国道454号を車で1時間ほど走り、新郷村に入る。

f:id:YOSHI88:20210413104941j:plain地元では「キリストの里」として認識されているようだ。

f:id:YOSHI88:20210413105003j:plain「キリストの墓」と書かれた道路標識を見つける。 

f:id:YOSHI88:20210413105027j:plainここから、傍道を登っていく。右手には、ひっそりと「キリストの聖泉」と書かれてある。湧水か??

f:id:YOSHI88:20210413105054j:plain丘を登っていくと案内板がある。「イエスキリストは21歳の時日本に渡り12年間修行を重ねた後、ユダヤに帰り神の教えを説いたが受け入れられず、十字架に処されそうになる。しかし、弟のイスキリが身代わりとなり、キリストは再び日本の地を踏み、戸来村に住居を定めて106歳まで生きた。」という驚くべき事が書かれてある。また、墓は二つあり、向かって右手にある『十来塚』はキリストを、左手にある『十代墓』はイスキリを祀ったものとしている。

十来塚

f:id:YOSHI88:20210413105151j:plainこちらは「十来塚」と呼ばれるキリストの墓。 

f:id:YOSHI88:20210413105220j:plain墳墓の上に、木製の十字架が立てられている。『竹内文書』で知られる竹内巨麿らが1935年8月に戸来村(当時)を訪れ、笹に埋もれていたこの塚をキリストの墓と断定したようだ。真偽の程は不明だが、木漏れ日の中に佇む十字架が神秘的で神々しい。

十代墓

f:id:YOSHI88:20210422172146j:plainこちらは「十代墓」と呼ばれ、ゴルゴダの丘でキリストの身代わりになって処刑された弟のイスキリなる人物の墓とされている。

f:id:YOSHI88:20210422173213j:plain墳墓に木製の十字架が立てられたのは1963年のこと。村では毎年6月の第一日曜日に「キリスト祭」が行われ、「ナニャドヤラ」という意味不明の節回しの祭唄で墓を囲んで踊るのが恒例となっている。 ちなみに、訪ねた日は1989年6月10日の土曜日。「キリスト祭」は僅か数日前の6月4日だったようだ。

資料館

f:id:YOSHI88:20210413105401j:plain近くの資料館には、竹内文書写本や『キリストの遺書』など関連資料や、村でかつて使われていた農耕具や衣服などが展示されている。説明文によれば、昭和30年頃まで戸来地方の男子農民が着用していた作業着はパレスチナ地方の牧童や農夫の農作業衣にそっくりとのこと。

f:id:YOSHI88:20210426124528j:plainここは元々、村の旧家・沢口家代々の墓所の一角。村役場の話によると、沢口家には、目が青く鼻が高い日本人離れした風貌の人物もおり、村人の間で「天狗が住んでいる」と言われていたという。また、沢口家の家紋は、上の写真に示すように、ダビデの星(ユダヤの紋章)と似ている。

また、村の地名や風習がユダヤの風習やヘブライ語と結び付けられて語られている。 

(1)「戸来」の地名

この地が合併して新郷村になる前の村名は「戸来(へらい)村」。戸来はヘブライから転化したものといわれている。そう言えば、この辺りには、「三戸」「五戸」「八戸」など「戸」の付く地名も多い。

(2)十字架にまつわる風習

村には、赤ちゃんを初めて外に連れ出す時、額に墨で十字を書く風習がある。また、足が痺れた時は人差し指につばをたっぷり付けて足に十字を三回書く。さらに、亡くなった人を埋葬すると、その上に3年間は十字の木を立てる風習もある。

(3)父母の呼称がヘブライ語

村では、父親を「アヤー」、母親を「アッパー」と呼ぶ。これはイスラエルでの呼び方と似ている。

(4)踊唄「ナニャドヤラ」もヘブライ語

「キリスト祭」の踊唄で唱えられ意味不詳とされる文句「ナニャドヤラ、ナニャドナサレテ、ナニャドヤラ」は、米国に住んでいた神学博士の川守田英二という人物によれば、古代ヘブライ語で「汝の聖名を褒め称えん、汝に毛人を掃蕩して、汝の聖名を褒め称えん」という意味の軍歌だと指摘している。

このような村の風習に鑑みれば、キリスト本人が日本に渡来したかは別にして、古代にユダヤ人がこの地にを訪れたのは事実と言えるのではないだろうか?

 迷ヶ平

f:id:YOSHI88:20210413113948j:plainキリストの墓のある新郷村から、さらに国道454号により十和田湖方面へと向かう。この辺りは、鬱蒼とした原生林に覆われ、静寂で神秘的な雰囲気が漂っている。

f:id:YOSHI88:20210413114114j:plain途中で「迷ヶ平自然休養林」と書かれたドライブインに到着。

f:id:YOSHI88:20210413114035j:plain「迷ヶ平」は、青森と秋田の県境近くで、十和田湖の外輪山の一つ十和利山の麓にある。

竹内文書」によれば、かつてこの辺りに華麗な都が栄えていたという。

また、創世記2章には『主なる神は、東の方のエデンに園を設け自ら形づくった人をそこに置かれた』と記されており、十和田湖周辺の「迷ヶ平」こそ神が人類を創造した「エデンの園」であるという驚愕の説もある。

なお、上地図の一番下に「エデン沼」という表記があって気になり調べてみたが、何も分からなかった。一体何を意味しているのだろうか?

十和利山

f:id:YOSHI88:20210413114012j:plain正面に見えるのが「十和利山」。標高990mで、十和田湖の南東に位置する山である。十和利山は、酒井勝軍によって、葦嶽山に続き第2の「日本のピラミッド」として認定されている。言われてみると、人工的に加工されている様に見えなくもない。

右手にある店の旗につられて「キリスト餅」を購入。小麦粉とソバ粉に荏胡麻をつけて炭火で焼いた、独特の味わいの串もち。正直、あまり美味しいとは思わなかった(笑)。なお、「キリスト餅」の名前がキリスト教組織からクレームが付いたため、最近では単に「串もち」と呼んでいるらしい。

f:id:YOSHI88:20210413114139j:plain十和利山の入口にある鳥居。中に神社などの建物は無いようだ。

この後、十和田湖大湯環状列石(ストーンサークル)などを訪ねます(続く)。

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