1990年の年末から1991年の年始にかけてパキスタンを旅行しました。
旅の概要ですが、①モヘンジョ=ダロ遺跡、②カラチ、③ハラッパー遺跡、④ラホール、⑤ペシャワール、⑥スワット地方、⑦タキシラ、⑧イスラマバードの順に回りました。
[9日目]
朝食後は、ツアーで初めての自由時間で、宿泊先のパール ・コンティネンタル・ホテルでゆっくり寛ぐ。
パール ・コンティネンタル・ホテル
客室内は、淡い色合いの内装とシックなインテリア。
昨夜イルミネーションの反射が綺麗だったプールは、誰もおらず、ひっそり。
ロビー風景。パキスタンのホテルにしてはナカナカのもの(笑)。
ホテルから出て、散策に出かける。
ラーワルピンディー
この辺りは、パキスタンの新首都イスラマバードの南15kmにある隣町のラーワルピンディー。新首都が建設される以前からこの地域の中心であり、交通の要衝として栄えた町。地元の人々から「ピンディー」と呼ばれ、昔ながらの雰囲気を残すバザールや街並みも残っている。
靴磨き屋か?遮るものがなく、寒そう。
ムスリム商業銀行。イスラムの教義に基づいた金融サービスを提供する銀行で、無利子での金融サービスなどを行うらしい。
鞄や本、文房具などの学校用品を取り扱っている店。日本にあっても違和感を感じない。
どことなく懐かしい風景。昭和30〜40年頃の日本の商店街を思い出す。
殺風景な公立女子校。
自由時間後は、バスでイスラマバードへ。
昼食は、市内の中華レストラン。
日本にある店と何ら変わらない。
イスラマバード
パキスタンの首都イスラマバードは、1962年カラチから遷都の際に作られた計画都市。マルガラ丘陵南側の山裾に広がり、整然とした碁盤の目のような街路を持ち、緑あふれる美しい都市。リキシャ(オート三輪)の乗り入れが禁止されているため、街はとても静か。
シャー・ファイサル・モスク
マルガラ丘陵の山麓にある白亜のモスク。アジア最大の規模を誇り、モスク内部だけで1万5千人の礼拝者を収容できる。建物の四隅にそびえ立つミナレットは高さ約90m。モスク頂部の金色の三日月はイスラームの象徴。
内部も、かなり広く、美術館のよう。
礼拝堂は2階にあるが、外でも礼拝している。
モスク入口付近。
1階入口付近。
ダマネコー展望台
マルガラ丘陵の山腹にある展望台。
イスラマバードの街を一望できる。
イスラマバード市内は、碁盤目状の複数の区画(一つの区画は1.5×2km)からなり、上下にアルファベット、左右に番号が振られている。ちなみに、先程見学したシャー・ファイサル・モスクは、E-7の直ぐ下の辺りにある。
豊かな緑に包まれた閑静な街並み。
大統領府。旗が2本立っているときは、大統領が執務中。
イトワール・バザール
イスラマバードのG-6区画にある(3つ上の写真参照)。南半分に果物や野菜、肉などの生鮮食品を売っている屋台が並び、北半分に主に日用品などの雑貨、衣類などを売る店が並んでいる。
人と車であふれ、排気ガスや粉塵の中に独特な香辛料の匂いが漂う、刺激的でクセになるバザールに別れを告げ、イスラマバード22:25発の PK752便で、空路、帰国の途へ。
終わりに
今から丁度30年前に旅したパキスタンですが、今回ブログで取り上げるために、本棚の隅に眠っていた写真約800枚をを取り出して初めてツアー全体を振り返ってみました。
世界四大文明発祥の時まで遡る遥か昔のインダス文明の遺跡モヘンジョ=ダロやハラッパ、その後、北西部を中心に栄えたガンダーラ文化の中心タフティ・バイやタキシラの仏教遺跡群、さらにラホールを中心としたムガール王朝時代の城塞やバードシャーヒー・モスク、シャリマール庭園等の独自の歴史建造物だけでなく、カイバル峠付近での擬身柄拘束体験(笑)や独自の風習を続けるパシュトーン人、道端で出会った子供達の純粋な笑顔、バザールでの人々のたくましい生きざま等が写真と共に鮮やかに蘇ってきます。
元々、テロや誘拐、スリ等が発生する不安定な治安情勢に加えて、パキスタンに関する情報も少なく、現在旅行するには極めて危険な地域であるが、今仮に同じツアーに参加していたら、パキスタンはやはり自分に同じ感動を与えてくれたろうと思う。このブログを読んで、少しでもパキスタンを旅した気分になってもらえたら幸いです。
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