今年の初夏、緊急事態宣言が暫く解除された隙を狙って、「海の京都」と呼ばれる丹後半島を周遊する旅を満喫してきました。
この「丹後半島周遊の旅」ブログも今回で6回目となり、国内旅行としては最長更新。当初の予定では4〜5回程で終わる予定だったが、写真が多過ぎてなかなか進まない(笑)。
今回は、高さが20mもある巨大な一枚岩③「立岩」、鳴砂の浜として有名な④「琴引浜」の順に丹後半島を廻り、開湯1300年の⑤「城崎温泉」へと向かいます。
屏風岩
伊根の舟屋から立岩に向かう途中、車窓から「屏風岩」が見える。北西に岩が5つほど海に浮かび、それらが一直線に連なっている。手前の岩は高さ約13mの安山岩で、海面からそそり立つ様子が屏風を立てたように見えることから「屏風岩」と呼ばれている。
立岩
屏風岩から5分程で、立岩近くの「道の駅てんきてんき丹後」に到着。
近隣の位置関係。立岩へは道の駅から竹野川に沿って徒歩7〜8分程。立岩は、日本海へ注ぎ込む竹野川の河口をせき止めるように立っている。これは単なる偶然なのだろうか?
小雨の降る中、泥濘んだ道を竹野川に沿って歩いていく。
竹野川
全長27.6kmで、丹後半島最長・最大の河川。竹野川の流域には遺跡が散在しており、丹後半島地域の文化発祥の地とされる。また、支流鱒留川の源流がある磯砂山には羽衣天女が舞い降りたという日本最古の「羽衣伝説」がある。
竹野川に架かる木製の「てんきてんき橋」を渡って、
橋を降りると、立岩は目の前。
立岩
「立岩」は、間人ガニで有名な京丹後市間人(たいざ)の後ヶ浜に威風堂々とそびえ立つ、高さが20mもある巨大な一枚岩。
立岩へは陸側から砂州が伸びて繋がっている。黒い立岩と白い砂洲とのコントラストが美しい。
柱状節理の玄武岩で、直線的な荒々しい岩肌が印象的。およそ1500万年前に地下からマグマが上昇して固まり、さらに周囲が波に侵食されることにより、海に浮かぶ幻想的な岩が出来上がったとされているが、これが本当なら火山活動が生んだ奇跡とも言える。
「立岩」には、以下のような「鬼退治伝説」が残っている。
『聖徳太子の生母であり、第31代・用明天皇の間人(はしうど)皇后の第三皇子麿呂子親王(聖徳太子の異母弟)が鰾古・軽足・土車という3匹の鬼を退治した際、二匹は殺し土車だけはみせしめのため、この大岩に封じ込めた。』
今でも強風、波の高い夜などは、鬼の泣声が聞こえるといわれている。
山陰海岸ジオパーク
「山陰海岸ジオパーク」は、京都府(京丹後市)、兵庫県(豊岡市等)、鳥取県(岩美町・鳥取市)の日本海に面する6つの市町から構成され、その地形や地質の貴重さからユネスコ世界ジオパークに認定されている。「立岩」は、この「山陰海岸ジオパーク」の一つとして指定を受けた、京丹後市を代表する観光スポット。
透明度の高い海水に、砂州と緑地が重なった美しい景観は、優れた名勝地と呼ぶに相応しい。
間人皇后・聖徳太子母子像
畔には「間人皇后・聖徳太子母子像」が、間人(たいざ)の海を見守るように優しく佇んでいる。この地方には、間人皇后の伝承が残っている。
『後の聖徳太子の母・穴穂部間人皇后が、蘇我、物部氏間の戦乱からこの地に身を隠し、戦乱が収まった後、都へ帰る時に村人へ感謝の念を込め自らの名「間人」を村名に贈った。村人は皇后の名をそのまま地名にするのはおそれ多いとして、皇后の御退座にちなみ、「間人」と書いて「たいざ」と読むようになった。』
琴引浜
立岩から20分程海岸線を走ると「鳴砂の浜」として有名な琴引浜。
「琴引浜」は、京都府京丹後市網野町掛津地区および遊地区にまたがる全長1.8kmにわたる砂浜で、古くは琴曳浜、琴弾浜とも表記する。
琴引浜は、日本の白砂青松100選(1987年)、日本の渚百選(1996年)、残したい日本の音風景100選(1996年)に選ばれている。
砂の乾燥した時期に砂浜を「すり足」で歩くと、砂に含まれる石英の摩擦で「キュッキュッ」と鳴いた音がする。
琴引浜は、水の透明度も抜群。1997年1月、ロシア船籍タンカーから流出した大量の重油により一時は壊滅状態となったが、全国からのボランティアの方々や地域の方のご協力により、元の美しい浜に蘇ったとの事。今もなおこの美しさが保たれていることに感謝。
近くにある建物では、「鳴き砂」の体験が出来る。
すり鉢に鳴き砂の主成分の石英を入れて棒で擦ると確かに「キュッキュッ」と鳴く。だが、少しでも不純物が混ざると、とたんに音が鳴らなくとのこと。鳴き砂の音は、美しい海水と石英の純度が維持された結果であり、地元の方々の不断の努力の賜物だと言える。
この後、1300年前コウノトリが傷を癒したことからその歴史が始まったと言われている「城崎温泉」へと向かいます(続く)。
コメント