今から30年前の1991年9月に、広島県庄原市にある葦嶽山へ行ってきました。
エジプトではなく、「日本ピラミッド」をご存じでしょうか?1984年(昭和59年)にサンデー毎日が数ヶ月にわたって「日本ピラミッド」の特集を組んだのがきっかけで、テレビでも関連のニュースや特集が放送され、当時全国に「日本ピラミッド」の大ブームが巻き起こりました。
サンデー毎日で取り上げられた葦嶽山は、昔から神武天皇陵と言い伝えられていましたが、1934年(昭和9年)にピラミッド研究家の酒井勝軍が現地を訪れて巨石群や山を調査し、葦嶽山が自然の山を生かした世界最古(2万3000年前)のピラミッド(本殿)で、北側にある鬼叫山が拝殿であると主張しました。
サンデー毎日の連載時からずっと葦嶽山のことが気になり、同じミステリー好きの友人と、レンタカーを借りて現地へ。
「庄原ピラミッド案内板」を見つける。
葦嶽山には鷹岩、天狗岩、鳥帽子岩等があり、葦嶽山から150メートルほど(徒歩で10分ほど)離れた鬼叫山には獅子岩、方位石、鏡石、神武岩、ドルメン(供物台)と呼ばれる巨岩が残されている。
葦嶽山へは、野谷コース、灰原コースの2つの登山道があり、それぞれ登山口に駐車場がある。距離的には灰原コースの方が短いが、途中にやや急な登りがあるため、 登山が容易な野谷コースを選択。
なだらかな坂道を登っていくと、
所々に用途不明の巨石が転がっている。
しばらくして、案内板を見つける。右手を進めば葦嶽山山頂、左手を進めば鬼叫山拝殿跡。先ずは、拝殿跡を目指す。
鬼叫山を登ると、すぐに岩だらけの場所(ドルメン)に出る。
ドルメン
長さ1メートルほどのドルメン(卓状石)は、供物台として利用されていたものだという。
葦嶽山山頂
ドルメン付近からは葦嶽山山頂がよく見える。綺麗なピラミッド型をしている。
獅子岩
さらに登ると獅子岩と呼ばれる岩が現われる。
その頭部は、人工的に彫りこまれた動物(獅子)の顔に見える。
正面から見ると、何とも愛嬌のある顔をしている。
獅子岩の手前にも板状の石が複数枚あるが…、
ある特定の方向から眺めると、獅子岩と板状の石が一体となって頭部(獅子岩)と胴体(板状の石)がつながり、まるでエジプト・ギサにあるスフィンクスのよう!。ピラミッドと言われる葦嶽山の側にスフィンクス!これは単なる偶然だろうか?
方位石
獅子岩の近くには、方位石と呼ばれる4個の石組みがある。
石組みの隙間のラインが東西南北を指しているとされていたが、実際方位計で調べると一致していない。これについては、サンデー毎日の『日本にピラミッドがあった! 追跡企画』において再調査され、東西南北ではなく冬至と夏至の日の出および日の入方向を示していると結論された。
鏡岩
方位石の南にある鏡岩は、高さ約3メートル、幅約7メートル、推定重量100トンを超える巨大なもので、かつては表面が鏡のようにピカピカに磨かれ、陽光に輝いていたという。
大石柱(神武岩)
鏡岩の南側には高さ約7メートルの巨大な石柱が立ち、さらに何本もの石柱が折り重なるようにして倒れている光景は圧巻!。石柱はもともと3本立っていたが、酒井勝軍が調査を行った時には、既に1本しか立っていなかったという。これは、大正の初期に神武天皇の財宝が埋められているという噂が流れ、大勢の人が押しかけて石を倒して宝を探しまわったためのようだ。
その立っている一本の石柱の頂上部には直径15センチほどの半球型の窪みがある。伝説によれば、ここに夜光玉という球がはめられており、陽が昇ると太陽の光がこの球に当り、鏡岩に反射して、岩全体が光り輝いていたという。
ピラミッド頂上
葦嶽山の頂上は約5平方メートルの広場となっている。
酒井勝軍が登頂した頃は、この山頂に、御神体とされる直径約3メートルの太陽石やそれを囲む方形磐境(列石)、その外周を囲む円形磐境があったようだ。しかし、酒井が唱えた「日本ピラミッド」説は異端邪教の類として当時の国家権力によって破壊・撤去されたため、今では何も残っていない。
葦嶽山の頂上から鬼叫山を眺めると、先程見た巨石群のある拝殿跡の場所のみが木に覆われておらず、良く見えている。この点だけを取っても、ピラミッドの本殿と巨石群のある拝殿が一対として人工的に作られたものであると思える。
烏帽子岩(観音岩)
葦嶽山の頂上から西面を降りていくと、ひょうたんのような形の烏帽子岩がある。山頂からも確認できる。
山頂から見た拡大図。
鷹岩
葦嶽山の山頂から少し降りた場所に、鷹岩と呼ばれる不思議な岩がある。
約3メートルの高さの岩で、庄原市発行の葦嶽山のパンフレットには、「エジプトの鷹神を思わせる」と記述されている。
天狗岩
山頂付近には、こんな天狗の鼻のような岩もあった。
(終わりに)
昭和59年にサンデー毎日編集部が京都芸術大学の教授や地質コンサルタントを伴って葦嶽山(本殿山)と鬼叫山(拝殿山)を再調査したことがきっかけで、全国各地に新たに日本ピラミッドと推定される山が相次いだ。
この中でも、葦嶽山は酒井勝軍が「日本ピラミッド」を研究する原点ともなった山。葦嶽山に実際に足を運んでみるまでは「日本ピラミッド」説など半信半疑だったが、獅子岩を撮影中偶然にも角度によってスフィンクス姿に見えることを見つけて、友人と「大発見!」と歓喜し、葦嶽山の「日本ピラミッド」説が確信に変わった事を覚えている。
その後、今日まで、サンデー毎日が起こした「日本ピラミッド」ブームが再来することもなく、葦嶽山はひっそりと眠りについているようだ。
今回、当時の撮影した写真や、サンデー毎日の連載記事、関連本などを30年振りに振り返って、自分の中ではピラミッドブームが再燃している。また、近いうちに気になる山へ足を運んで自分なりに検証してみたいと思っている。
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