「祇園祭」と京都神社巡り(下鴨神社・八坂神社・木嶋神社・大酒神社・上賀茂神社・貴船神社)(2)

京都

[2日目](その1)

ホテルでバイキングの朝食後、ツアーバスで「烏丸御池」駅近くの「御池通」沿にある「祇園祭」観覧席(指定席)へ行き、ツアーで予め手配された座席を確認。

添乗員に本日のみの「ツアー離脱書」を提出して承諾を貰い、以後はツアーを離れてのフリータイム。

巡行ルートから、先頭の山鉾は11時頃到着予定なので、それまでの時間を利用して、木嶋神社へ。

木嶋神社(木嶋坐天照御魂神社)

木嶋神社は、正式名を「木嶋坐天照御魂(このしまにますあまてるみたま)神社」といい、地下鉄東西線「太秦天神川」駅下車、徒歩約5分のところにある。

市内でも最古に属する当神社は、社殿を取囲むように巨樹が繁茂しており、本殿西側の「完糺の池」という神池には京都三鳥居の一つとされる石製三柱鳥居が建つ。

また、本殿の東側には織物の祖神を祀る秦氏ゆかりの蚕養(こかい)神社があり、「蚕ノ社(かいこのやしろ)」の通称でも呼ばれている。

さらに、古くから祈雨の神として信仰されるとともに、下鴨神社の「元糺(もとただす)」とも呼ばれている、賀茂社に関係のある神社でもある。

「太秦天神川」駅から三条通を少し行くと、通りに大きな石鳥居が見える。

この鳥居の扁額は「木嶋神社」ではなく、「蚕養神社」となっている。

さらに住宅地の中の旧参道らしきものを北へ行くと「木嶋神社」の鳥居が見えてくる。

鳥居横にある「木嶋坐天照御魂神社」と「蚕神社」の石標

境内に足を踏み入れると、一転して鬱蒼と樹々が茂り、周囲の空気が変わり、静寂に包まれる。

参道の正面に拝殿が見え、その奥に離れて本殿拝所がある。

本殿拝所

本殿拝所の奥正面には、本殿の「木嶋神社」が建てられ、また、本殿右手の東本殿には、機織の祖神が祀られている「蚕養(こかい)神社」が鎮座する(ただし、これより先には進めず、本殿と東本殿で参拝することは出来なかった)。

境内平面拡大図

本殿・木嶋神社

境内案内板

延喜式内社(延喜式神名帳に記載された神社、および現代におけるその論社)で、御祭神に、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、大国魂神(おおくにたまのかみ)、瓊々杵尊(ににぎのみこと)、穂々出見命(ほほでみのみこと)、鵜茅葺不合命(うがやふきあえずのみこと)の5柱が祀られている。

ただし、この社の正式名である「木嶋坐天照御魂神社」から、主祭神は天照御魂神(あまてるみむすひのかみ)と考えられている。

創建年月日は不詳であるが「続日本紀」大宝元年(701年)4月3日の条に神社名が記載されていることからそれ以前に祭祀されていたと思われる古社である。

東本殿・蚕養神社(蚕の社)

神社由緒書

雄略天皇の御代(1500年前)、秦酒公は呉国(今の中国南部)より秦氏の諸族と供に数多くの絹などを織り出し「禹豆麻佐(うずまさ)」の姓を賜る。

この地を太秦と称し、推古天皇の御代に至りその報恩と繁栄を祈るため養蚕、織物、染色の祖神を勧請したのがこの社である。

養蚕、織物、染色の守護神である。

(神社由緒書より)

御神紋

木嶋神社の御神紋は「二葉葵(ふたばあおい)」であり、下鴨神社と同じ(上賀茂神社、松尾大社も同じ)である。

木嶋神社の御神紋

 下鴨神社の御神紋上賀茂神社の御神紋

松尾大社の御神紋

木嶋坐天照御魂神社の由緒記によれば、下鴨神社の鎮座地「糺」の名はここより移したものとされている。この地は元糺(もとただす)と呼ばれているので賀茂社に関係のある神社である。

元糺の池・元糺の森

元糺の池

境内平面図

境内の北西隅には「元糺の池(もとただすのいけ)」と称する神池があり、かつては湧水が豊富であったといわれている。

「糺」は「正シクナス」「誤ヲナオス」の意味である。この神池は、身滌(みそぎ:身に罪又は穢のある時に心身を浄める)の行場であり、夏期第一の「土用の丑」の日にこの神池に手足を浸すと諸病にかからぬという俗信仰があった。

嵯峨天皇(52代天皇:在位809年〜823年)の時代に心身を浄める神池(糺の池)の役割を賀茂御祖神社(下鴨神社)に移したとされ、それ以降この神池は「元糺」と云われる。

伝承では木嶋社の社叢を「元糺の森」、神泉を「元糺の池」と称し、下鴨神社の森が「糺の森」と呼ばれるようになる以前は、木嶋社の社叢が「糺の森」と呼ばれていたとする。

下鴨神社には「糺の森」(ただすのもり)と呼ばれる原生林が今もなお残されている。その森の中には「御手洗池」という神池があり、禊祓いをして、罪、けがれを祓う「足つけ神事/御手洗祭(みたらいまつり)」が夏の土用の丑の日に行われる。

御手洗池

下鴨神社☞https://journeytorediscoverjpn.net/「祇園祭」と京都神社巡り1/

三柱鳥居

三柱鳥居

元糺の池の中には三柱鳥居が建てられている。

この三柱鳥居は、柱3本を三角形に組み、3方から中央の神座を拝することを可能とする珍しい形式の鳥居で、「京都三鳥居」の1つに数えられている。

創立年月は不詳であるが、現在の鳥居は享保年間(1716年-1735年)に修復されたものである。

中央の神座は、円錐形に小石を積み、中心に御幣(ごへい)を立てて依代(よりしろ:神霊が依りつく対象物)としたもの。

三柱鳥居に関して、一説には、柱は神を表しており、キリスト教の「三位一体説」を表現した景教(ネストリウス派)の遺跡であり、秦氏が景教を招来したとする説もある。

しかし、そもそもの景教の中国移入は635年、正式認可は638年であり、秦氏の渡来時期(3〜4世期)よりかなり後になる。このため、秦氏がネストリウス派のキリスト教徒だったとは考えられない。

さらに、三位一体説を採っているのは、キリスト教のアタナシウス派(カトリック、正教、プロテスタントの基礎になった宗派)であって、ネストリウス派ではない。

ちなみに、431年のエフェソスの公会議で、アタナシウス派は正統、ネストリウス派は異端とされ、ネストリウス派はローマ帝国を追われることになった。

エフェソス遺跡☞https://journeytorediscoverjpn.net/トルコ3/

ネストリウス派は三位一体説を採用していないため、たとえ三柱鳥居が三位一体説を表現したもので、秦氏が景教を招来したとしても、景教の信徒が三柱鳥居を建てることなど、有りえないと思われる。

ところで、対馬の和多都美神社(わたつみじんじゃ)には、参道横と社殿横の2ヶ所に三柱鳥居がある。

和多都美神社☞https://journeytorediscoverjpn.net/対馬・壱岐4/

この神社では、彦火々出見尊(=穂々出見命:ほほでみのみこと=山幸彦)と豊玉姫命を主祭神としている。また、参道横の三ノ鳥居と四ノ鳥居の間にある三本柱の鳥居内には「磯良恵比須」という岩が祀られている。

和多都美神社の三柱鳥居

「磯良」は民間伝承では豊玉姫命の子であると伝わり、また鵜茅葺不合尊(ウガヤフキアエズノミコト=初代天皇である神武天皇の父)の別名といういわれもある。

このため、木嶋神社にある三柱鳥居中央の神座は、「磯良」と同様に鵜茅葺不合尊であって、

木嶋神社の御祭神「天之御中主神、大国魂神、瓊々杵尊、穂々出見命、鵜茅葺不合尊」の5柱の中でも、特に鵜茅葺不合尊を祀ったものではないだろうかと個人的に考えている。

木嶋神社を後にし、近くにある大酒神社に立ち寄ってから、祇園祭の観覧席に戻って祇園祭を見学します(続く)。

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