[2日目](その4)
祇園祭見学後は、フリーで「上賀茂神社」へと向かいます。
上賀茂神社は、京都市営地下鉄烏丸線「北山駅」から徒歩で25分程。北山駅から「北山通」を西へ進み、
賀茂川が見えたら、賀茂川沿いに北へ向かってしばらく歩きます。
上賀茂神社
大鳥居
上賀茂神社は、正式名称を「賀茂別雷神社」(かもわけいかづちじんじゃ)といい、かつてこの地を支配していた古代氏族である賀茂氏の氏神を祀る神社として、賀茂御祖神社(下鴨神社)とともに賀茂神社(賀茂社)と総称される。
「賀茂社」は、奈良時代には既に強大な勢力を誇り、平安遷都後は皇城の鎮護社として京都という都市の形成に深く関わってきた。賀茂神社両社の祭事である「賀茂祭」(通称 葵祭)で有名です。
(上賀茂神社公式webサイトより)
神社境内の東に流れる御物忌川と西の御手洗川が合流する三角形の斜面地に広がる社殿群が中心で、神山(こうやま)を遥拝する形で本殿が建てられています。
御祭神を祀る「本殿」と常設の仮殿である「権殿(ごんでん)」が東西に並び立ち、共に文久三年(1863)造替で「流造」の典型として国宝に指定されています。
創建については諸説あり、社伝では、本殿の背後の北北西およそ2kmに、標高301.5mの神山(こうやま)があり、 神代の昔、山頂にある最も大きな岩(磐座)に、御祭神である賀茂別雷大神(かもわけいかづちのおおかみ)が降臨したと伝えます。
(案内板の内容)
『ようこそ、世界文化遺産・上賀茂神社へ●神社の名称 正式には「賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)」ですが、通称「上賀茂神社(かみがもじんじゃ)」として皆様に親しまれています。
●ご祭神 賀茂別雷神(かもわけいかづちのかみ)
●神様のお力 賀茂別雷神は、雷のような強いカで私達に起こる全ての災いを祓い、幸せに導いて下さると共に、電気産業・農耕守護・国家安泰の神として崇敬されています。 賀茂別雷神をお祀りする神社が全国各地にあり、当神社と同様、地域の氏神として信仰されています。
●神社のはじまり 賀茂別雷神は神代(かみよ)の昔、本殿の後方約2キロメートルにある秀峰「神山(こうやま)」の頂上にある磐座(いわくら)にご降臨になりました。天武天皇(てんむてんのう)の白鳳(はくほう)6年(678)に神山を拝む形で現在の本殿の基となる建物〈遙祭殿(ようさいでん)〉が建てられました。 二の鳥居を入った正面にある「立砂(たてすな)」は神山を表しており、本殿が無かった時代の祭場のなごりで、当神社の象徴です。
●社殿(建物) 境内23万坪(76万m)の中心である本殿と権殿(ごんでん:常設の仮殿)は文久3年(1863)造替(ぞうたい)で、「流造(ながれづくり)」と呼ばれる神社建築様式の代表建造物として国宝に、他の60棟程の桧皮葺(ひわだぶき)屋根の建物は寛永(かんえい)5年(1628)造替で、ほとんどが国の重要文化財に指定されています。 社殿他を維持継承するために定められた「式年遷宮(しきねんせんぐう)」の制度によって、平安時代とほとんど変わらない佇まいを今に伝えていることにより、平成6年に境内全域が世界文化遺産に登録されました。』(原文ママ)
御祭神
賀茂別雷大神(かもわけいかづちのおおかみ)。下鴨神社の御祭神である玉依媛命(たまよりひめのみこと)の息子になる。
一の鳥居
二の鳥居
外幣殿(馬場殿)
一の鳥居と二の鳥居の間にある外幣殿(馬場殿)は、江戸時代前期の1628年(寛永5年)に建てられ、御所殿(ごしょでん)、御所屋(ごしょのや)とも言われています。
入母屋造(いりもやづくり)で、檜皮葺(ひわだぶき)で屋根を葺き、寸法が桁行五間・梁間三間です。
外幣殿はかつて法皇・上皇の御幸(ごこう:上皇・法皇が外出すること)の際などにも使用されました。
細殿(ほそどの)
二の鳥居をくぐると、目の前に現れる建物。天皇や斎王が参拝の際に装束などを整える場として使用されていました。境内の中でも特に格式高い殿舎のひとつとされ、重要文化財にも指定されています。
立砂
細殿の手前には、円錐状に盛られた砂が2つ並んでいます。これらは「立砂(たてすな)」といい、神山を表しており、本殿が無かった時代の祭場のなごりで、上賀茂神社の象徴とされています。
土屋
神主や社司の装束を整えるところとして使用されていました。
現在は祓所として使用されています。
舞殿(橋殿)
橋殿(はしどの)は、御手洗川の上に建てられた殿舎。
京都三大祭の一つにも数えられる葵祭の際、天皇によって派遣される勅使が御祭神に対し御祭文を奏上する場となります。
手水舎
手水舎の水は、上賀茂神社の祭神、賀茂別雷神が降臨したと伝えられる神山から湧く水を利用しており、古くから水質に優れていることが知られています。
玉橋
上賀茂神社には境内に御物忌川(おもいのがわ)と御手洗川(みたらしがわ)などいくつかの小川が流れ、各要所にはそれぞれ特徴的な橋が架けられています。
片山御子神社(摂社)
上賀茂神社境内にある24社ある摂末社の中で第1摂社に定められる神社(片岡社)。上賀茂神社の祭神である賀茂別雷大神の母神、賀茂玉依姫命をお祀りしています。
片岡社ご祭神の賀茂玉依姫命は、平安の昔より縁結び、恋愛成就、家内安全、子授け、安産の神様として著名であり、源氏物語の作者である紫式部も参拝をされています。
直会(なおらい)殿
直会殿は、神様に御供えした御神酒などを戴く儀式「直会(なおらい)」を行う建物。
この奥に、ご祭神を祀る「本殿」と常設された仮殿である「権殿(ごんでん)」があり、いずれも三間社流造(さんげんしゃながれづくり)の代表的な建築物として、国宝に指定されています。
賀茂山口神社(摂社)
賀茂山口神社は、稲の神とも言われている御歳神(みとしのかみ)を祀り、上賀茂神社の御田を始め、神領地の田畑守護の神とされています。
上賀茂神社で「御田植祭」(おたうえさい)が行われる際、賀茂山口神社でも祝詞奏上などの神事が行われます。
渉渓園(しょうけいえん)
渉渓園は、賀茂山口神社前庭に位置する500坪の庭園。平安時代末期の様式を真似て造られ、桜・楓・ツツジ・馬酔木などが植えられています。
4月第2日曜日には、平安装束に身を包んだ東西一流の歌人たちが川に杯を流しながら和歌を詠む、「賀茂曲水宴」(かもきょくすいのえん)などの祭事が行われます。
渉渓園はかつて神宮寺の池があった場所とも言われています。
睦(むつみ)の木
渉渓園内にある樹齢300年以上の木。
大地に根ざし、一つの根より大樹が何本も伸びているところから、一つに結ばれた仲睦まじい家族や家族の絆を表しています。
願い石(陰陽石)
渉渓園の東の端には願い石が置かれています。
渉渓園には龍の住む池があったといわれ、池の底から出土したのがこの願い石。
2つの石が結合して1つの石になったような形をしています。陰と陽が極まり融合した(実った)姿を現わしているとのこと。ゆえに願い石は、陰陽石とも呼ばれています。
この願い石は、両手で同時に触れると願い事が叶うと伝えられています。
二葉姫稲荷神社
上賀茂神社の境内にありますが、摂社でも末社でもなく、上賀茂神社の管轄外という珍しい神社です。
伏見稲荷大社の様に朱い鳥居が続く光景に惹かれて登っていくと、何か物悲しげな雰囲気が漂う。
「祭神由緒」によれば、
ここには、上賀茂神社の摂社である片山御子神社の神宮寺がありました。明治維新の新政府による「廃仏毀釈」により神宮司は廃寺となり、そのあとには鎮守の社である「二葉姫稲荷神社」だけが残ります。その神宮寺には、大きな池があり、その中央には辨天島があり、八嶋龍神が鎮座されていました。しかし、廃寺によって耕地となってしまったため、昭和に入り龍神様の怒りを収めるため、辨天島の「八嶋龍神」をこちらに遷座し、祀られたと伝わります。
この後、松尾神社を廻る計画でしたが、時間が無く断念。地下鉄で「四条」駅に戻り、夕食へ。
夕食
夕食は、「四条通」沿にある焼肉「京都肉食堂」。
生ビール、よだれ鶏(鶏むね肉に辛いたれをかけた四川料理のひとつ)、豚チャーシューエッグを注文。
この日の宿泊先も「アーバンホテル京都二条プレミアム」。
手狭ながらも、新しく機能的なホテルで寛ぎながら、今日の旅程を振り返ることにしました(続く)。
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