「古事記」のイザナギ(夫)・イザナミ(妻)の国生み神話では、7番目に生んだ島とされ、江戸時代には金山の島として栄えた日本最大の離島、佐渡。島内各地には、自然豊かな景勝地や歴史的スポットなど多彩な魅力が詰まっており、自然と歴史が織りなす温暖な理想郷!そんな佐渡を2泊3日のツアーで楽しんできました。
第3回目は、江戸時代に北前船の寄港地として発展し、船大工によって作られた当時の面影を色濃く残す②「宿根木」集落の観光です。
①「大野亀」散策後は、約2時間かけて、佐渡の最北端から最南端へ移動。
人面岩
真野から小木へと向かう「越の長浜」で、車窓から「人面岩」を一瞬観察。高さ10mほどの奇岩。確かに、人の横顔に見える。
椿尾弁天岩
小木近くの椿尾で、ひと際異彩を放つ奇岩に遭遇。この岩の姿は、弁天様が琵琶を抱え弾奏し、その傍らに蛇が待っているように見えると伝えられている。岩の中ほどには鳥居と祠があり、祠には弁財天が祀られている。
宿根木
宿根木は、佐渡島の最南端の海岸の入り江にある小さな集落。
佐渡金山繁栄期の江戸寛文期(1661~1678年)に廻船業の集落として栄えた。船大工の技術が結集した町並みや建造物が当時のまま保存され、国の「重要伝統的建造物群保存地区」に認定されている。
よしかわ屋
集落の入り口手前にある食事処「よしかわ屋」。屋根は、瓦が入ってくるまで主流だった「石置木羽葺屋根」(薄割りにした木の板を何枚も重ねた「木羽葺き」の上に石を置いた屋根)が復元されている。
竹の風垣
海側から宿根木集落への入り口には、海風から集落を守る竹でできた風垣が設けられている。
世捨小路(よすてこうじ)
入り口から続く集落で一番古い「石畳」の道。世捨小路という奇妙な名前の由来は不明。村の奥にある神社、お寺へ向かう人々も必ずこの世捨小路を通る、言わば集落のメインストリート。
地理学者「柴田収蔵」の生家
柴田収蔵は、蘭学のほか、医学、天文地理学を極め、鎖国政策下において、世界に目を向け数多くの地図を残した人物。
迷路のような石畳の路地に、今も100棟を超える板壁の民家が密集している。船大工の技術が結集した宿根木の町並みには歴史の重みと人々の日々の暮らしとが交錯する静かな時間が流れている。
船主の豪邸「清九郎」
江戸時代後期から明治にかけて廻船2隻を所有し、財をなした廻船主の元邸宅「清九郎」。建築材料、技術とも当時の宿根木集落内の最高水準を誇る建物。
旧郵便局舎
1921年(大正10年)に電信・電話の開始を記念し建てられた。緑色の外観がひときわ鮮やか。宿根木では珍しい洋風建築だが、不思議と周囲の建物と調和して溶け込んでいる。
あなぐち亭
廻船主佐藤伊左衛門家の屋敷。
越前三国港付近から千石戦で運ばれた笏谷石(しゃくたにいし)の敷石や広い庭が見られる。
称光寺川
集落の中には清澄な小川が流れている。かつては、洗濯をしたり野菜を洗ったりした洗い場だったようだ。
宿根木公会堂
芝居小屋形式(花道、2階観覧席、回り舞台の建物)の集合施設。大正期には小学校としても使われた。
白山神社
この鳥居は、宿根木の船主高津勘四郎の寄進によるもので、石工は尾道出身の与三郎、石材の花崗岩も尾道産である。宿根木海岸内に点在している白い「舟つなぎ石」(市記念物)も同様の由来がある。
三角家
建物の形から「三角家」「舟形の家」などと呼ばれている。狭い路地の形状に合わせ最大限に土地利用を図った知恵と技が見られ、宿根木を象徴する建物のひとつ。
JR東日本の吉永小百合さんが登場するポスターの撮影場所として有名で、今ではすっかり人気の記念撮影スポット。
伊三郎
明治24年(1891年)頃築。特に軒下の「持ち送り」が特徴的。
「持ち送り」に扇型の飾りを施し、姓の「石」の字を彫り込んだ意匠が洒落ている。
宿根木町並み案内所
「大浜」と呼ばれる海寄りの駐車スペースにある「町並み案内所」。公開民家の情報やオススメの観光スポットなどを教えてもらえる。
こちらにも、JR東日本の吉永小百合さんが登場するポスターが展示されている。
小木家
宿根木観光後は、小木港佐渡汽船に隣接する「小木家」で自由昼食。
レストラン会場に入ると、
指定された座席に、希望の「天然ブリカツ丼」(1320円)が用意されている。少々甘めのタレのかかったブリカツは身も厚くボリュームたっぷり。有名な新潟カツ丼のブリ版といったところか。
各自好きなものを頼んで代金を払う自由昼食でも、添乗員さんの好手配により特に待たされる事もなく、スムーズに食事ができた。
昼食後は、小木たらい舟の乗船と、高速モーターボートによる青い洞窟「琴浦洞窟」観光です(続く)。
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