「古事記」のイザナギ(夫)・イザナミ(妻)の国生み神話では、7番目に生んだ島とされ、江戸時代には金山の島として栄えた日本最大の離島、佐渡。島内各地には、自然豊かな景勝地や歴史的スポットなど多彩な魅力が詰まっており、自然と歴史が織りなす温暖な理想郷!そんな佐渡を2泊3日のツアーで楽しんできました。
第2回目は、昭和の風情漂う「願」集落、子供の霊を祀る佐渡北端の信仰の地「賽の河原」、標高約167mの一枚岩の絶景が魅力のパワースポット「大野亀」の散策です。
[2日目]
朝食後は、SADO二ツ亀ビューホテルから、「願」集落にある石動神社まで専用バスで移動する。
「願」集落
5分程で、「願」バス停に到着。
バス停横には「石動神社」が集落を見守るように佇んでいる。バスを降り、ここから徒歩で「賽の河原」へと向かいます。
昔ながらの風情漂う「願」集落。約20戸、40人程が暮らしているらしい。
昭和から時間が止まったままのような「消防団」、「公民館」を通過し、
船上げ場に遭遇する。この辺りには7人の漁師がおり、春はワカメやアラメ、夏はサザエやモズク、秋から冬にかけてはアワビやギンバソウなど、一年中、漁が行われている。
暫く海岸線沿いの舗道を進む。
前方には、先程散策した「二ツ亀」が見えてくる。
二ツ亀自然歩道
ここからは「二ツ亀自然歩道」で、賽の河原まで約800メートル。
波しぶきの音と冷たい風を感じながら、足場の悪い自然歩道を進んでいく。
振り返ると、「大野亀」とそれに連なる小島群が見える。
崩れそうで崩れない石組み。人工的に造られたようにも見える。
周囲には、巨石や奇岩がゴロゴロと転がっている。
足元と頭上に注意しながら階段を登り、巨大な洞穴を潜り抜けていく。
賽の河原
海蝕洞穴には、無数の石地蔵が静かに並んでいる。
「賽の河原」は、冥途との境にあり、幼くしてなくなった子供の霊が集まる場所と言われ、昔から篤く信仰されている。
この賽の河原にまつわる奇怪な伝承がある。「賽の河原にある石一つでも持って帰ると必ず家に不幸なことが起こる」のだという。また「積み石を崩しても、翌日になるとちゃんと元通りになっている」。亡くなった子供の霊が夜中の内に積み直しているのだという。
大野亀
「大野亀」は、標高167メートルの巨大な「一枚岩」で、佐渡の外海府海岸のシンボル。
大野亀は、黄色が鮮やかなユリ科の「トビシマカンゾウ」の花々の群生地としても名高い景勝地。
5月下旬~6月上旬頃、この辺りはトビシマカンゾウが一面に広がり、黄色く染まった広い台地を散策できる。なお、大きな大野亀の手前に、小さな鳥居がポツンと佇んでいるのが気になる。
圧巻のスケールや自然の豊かさなどから「ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン」で2つ星(★★)を獲得している。ミシュラン・グリーンガイドは、各地の魅力を伝える旅行ガイドで、旅行に関連する9つの評価を基準に、星なしから三つ星までの評価が与えられる。
丘の上に立つと、広々とした日本海、そして隣に浮かぶ二ツ亀の遠景も楽しめる。
二匹の亀がうずくまったように見える二ツ亀は、この角度からは2つの島であることがはっきりと分かる。
遊歩道も整備されており、麓から頂上まで約30分で登ることができる。今回は行けなかったが、トビシマカンゾウの見頃な頃にトライしてみたいものだ。
丘から降りていくと、遊歩道が鳥居へとつながっている。参道のようにも思えるが、神社らしきものはどこにもない!
大野亀は、昔から神が降り立つ場所とされていた。古来、山そのものを御神体として信仰する山岳信仰が有ったが、大野亀もそれ自体崇敬なものとして信仰対象とされていたのかもしれない。
ただ、鳥居の向きが大野亀の真正面ではなく、ちょっとずれている。大野亀の右側に沈む夕日の方向を向いているのなら、太陽を全知全能の神とする太陽信仰の顕れだろうか?
大野亀散策後は、近くにある休憩所「大野亀ロッジ」に入る。
初ものの「石もずく」と「ぎんば草」を購入。佐渡産石もずくは、粘りが強くて歯応えがある。ぎんば草は、先端が葉っぱのように平べったく、今朝の朝食の味噌汁に入っていたアカモク(ナガモ)よりも、風味やぬめりがより強い感じ。
この後は、佐渡の最北端から最南端へ約2時間かけて移動。郷愁を誘う「宿根木」集落や青い洞窟「琴浦洞窟」を観光し、小木のたらい舟に乗船します(続く)。
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