今年の初夏、緊急事態宣言が暫く解除された隙を狙って、天橋立のある「海の京都」と呼ばれる丹後半島を周遊する旅を満喫してきました。今回(最終回)は、柱状節理が美しい国の天然記念物⑥「玄武洞」、風情のある街並みで「但馬の小京都」と呼ばれる⑦「出石」の観光です。
[3日目]
軽めの朝食を済ませ、城崎温泉「東山荘」を普段より遅めに出発。
円山川に沿った「円山川リバーサイドライン」(県道3号)をバスで南下し、約15分程で、玄武洞のある「玄武洞公園」に到着。
玄武洞公園
玄武洞公園は、毎年13~15万人が訪れる景勝地であり、山陰海岸ユネスコ世界ジオパークの主要な自然遺産でもある。
ここから、玄武岩の敷き詰められた石畳の階段を上がっていく。
階段を登り切ると左側に「玄武洞公園案内所」があり、ジオパークのパネル展示を見学できる無料休憩所になっている。
玄武洞公園には、玄武洞・青龍洞・白虎洞・南朱雀洞・北朱雀洞の5洞がある。
案内所から更に階段を上がって、正面にある洞が「玄武洞」。
玄武洞
玄武洞は、昭和6年(1931年)に国の天然記念物に指定され、周辺地域一帯は、昭和38年(1963年)に「山陰海岸国立公園」となっている。
玄武洞の玄武岩は、約160万年前の火山噴火によってできたもの。規則正しく造形された玄武岩が創り出す「自然美」に只々圧倒される。
「玄武洞」の名は、文化4年(1807年)、ここを訪れた儒学者・柴野栗山が中国の妖獣「玄武」の姿に見えたことから名けられた。さらに、明治17年(1884年)、東京大学の地質学者・小藤文次郎が玄武洞の名に因んで岩石を「玄武岩」と命名した。
玄武洞の景観の最大の特徴が「柱状節理」。岩石に見られる規則正しい割目を「節理」といい、それが柱のようになったものが「柱状節理」。この柱状節理は、火山活動で生じた熱い溶岩が冷えて収縮していく際に生じた割目が内部に伸びて形成されたもの。
「柱状節理」によって、洞窟内では亀甲状の天井や5~8角の石柱が多数みられる。規則正しい割目のある玄武岩は石材に適しているため、「玄武洞」は、かつては採石場だった。つまり、採掘跡が洞窟として残ったもので、洞穴自体は自然に出来たものではない。
ここで切り出された玄武岩は、円山川から舟で運ばれ、城崎温泉街を流れる大谿川の護岸や豊岡の石積みなどで見ることができる。
玄武洞で世界的な大発見!
地球上にある玄武岩は、「磁鉄鉱」という鉱物が多く含まれている火山岩の一つで、磁石を近づけると引き寄せられる。
玄武洞の玄武岩は、他の玄武岩とは異なり、コンパスのN極の針が南を示す性質が発見され、この地の玄武岩が出来た時「地磁気の逆転現象」があったことが分かった(→南)。
「地磁気の逆転現象」は、1926年(大正15年)に京都帝国大学の松山基範博士により世界で初めて提唱され、後に「プレートテクトニクス理論」の成立につながっていく。
玄武洞の洞窟から振り返ると、円山川の先には、山陰鉄道を走る列車が見える。空には、多数の「龍神様」?!
散策道
玄武洞公園内の各洞窟を結ぶように散策道が整備されている。
散策道には多角形状の玄武岩が散乱しており、近くでその断面を観察することができる。
青龍洞
玄武洞から散策道を南に沿って2分~3分歩いたところに、国の天然記念物に指定されている「青龍洞」があり、美しい流線型の柱状節理を見せてくれている。
青龍洞は、高さ33メートル、幅40メートル、最も長い節理は15メートルもあり、圧巻の迫力。
柱状節理の模様が透明な水面に写し出されている。
水面に写る柱状節理の模様が “龍が天に上る姿に似ている”ことから「青龍洞」と名付られたと伝えられている。
玄武洞ミュージアム
隣接する「玄武洞ミュージアム」では、かつてこの地域に住んでいたゾウの実物大の全身骨格標本レプリカの迫力のある展示や、生命の歴史が分かる恐竜・ティラノサウルスなどの化石が集められた展示などがあり、見所満載。
この後、ツアー最後の観光地「出石」へと向かう。
30分程で、パーキングのある「いずし堂本店」前に到着。ここでバスから降り、出石の街の散策へ。
出石
“但馬の小京都”と呼ばれる城下町・出石(いずし)。「古事記」「日本書紀」にも名前の見られる歴史の古い町で、室町時代には山名氏が本拠を構えて5万8000石の城下町として栄えた。「出石城跡」のほか、「宗鏡寺」、「家老屋敷」、「辰鼓楼」など見所も多い。名物「出石皿そば」の名店も立ち並ぶ。
出石城跡
出石城は、慶長9年(1604年)、小出吉英によって有子山の麓に築かれた。小出氏、松平氏、仙石氏と城主を代えながら、明治の版籍奉還まで270年間にわたって、五万八千石の本城として威容を誇った。
明治時代になり、廃城令で出石城も取り壊されたが、辰鼓櫓、堀、石垣などが現存、また隅櫓、登城門・登城橋などが復元され、堀の周囲一帯は「登城橋河川公園」として整備されて、観光地となっている。
辰鼓楼
廃城となった出石城三の丸大手門石垣を利用して、明治4年(1871年)に建設された。「辰」は時間、「鼓楼」は太鼓を叩くやぐらを意味する。高さ約13メートル、内部は4階建の構造。当初は最上階から太鼓を鳴らして時刻を知らせていた。現在は日本最古の時計台として親しまれている。風情のある出石の街並み。
手打ち皿そば 官兵衛
出石での自由昼食は、やはり蕎麦屋に限る。色々あって迷ったが、バスガイドさんのお勧めの「官兵衛」に入ることに。この店ではそば本来の旨みを引き出すため、すべて国内産の玄そばを使用し、自家製粉と手打ちにこだわっている。
出石に受け継がれている伝統の「皿そば」(一人前5皿)の他に、数量限定そば粉100%の「雪室熟成十割そば」があったので、そちらを注文。暫くして、挽きたての十割そばと、地元産の赤玉子や長野産の生山葵が出てくる。
さらに、地元豊岡市竹野産の塩も付いている。こだわりのそばだからこそ、だしを付けずに、塩だけでシンプルに味わう。誤魔化しの無いそば本来の旨みと力強さをしっかりと堪能する。
和風喫茶霜月
目抜き通りにある、城下町に溶け込んだレトロな和風喫茶店。
店舗は、全但バスの車庫を蔵風に改装したレトロな雰囲気。テーブルには江戸時代に使われていた長火鉢を利用。
品の良さそうな年配の女性店主が、バスの集合時間を気にしながらも、濃厚で味わい深いコーヒーを入れてくれた。
帰路は、福知山ICから米原ICまで約4時間の長時間バス移動。さらに、米原駅17:33発の新幹線こだま744号で3時間以上乗車し、東京駅に20:48着。7時間以上の長旅でヘトヘトになるかと思っていたが、帰りの新幹線はグリーン車だったので、あまり疲れを感じなかった。やはり、グリーン車と普通車の違いは大きいと実感。
(終わりに)
ツアーに参加する前は、「天橋立」も良いだろうと言う程度で、丹後半島に関する予備知識は殆ど無かった。本ブログを書くにあたって、ツアーで闇雲に(?)撮った膨大な写真を整理しつつ、ネット等でツアーで訪れた観光地の情報を調べていると、観光地に関する理解も深まるとともに、ワンショットの写真の風景と次に撮った写真の風景同士が繋がって、ツアーを再体験している感じになり、とても楽しかった。このブログを読んで下さった方もツアーを体験しているような感覚になって貰えたら嬉しい。
なお、今度は個人旅行で、天橋立のウオーキングにもチャレンジしてみたいし、近くにある日本最古のパワースポット「眞名井神社」にも行ってみたい。また、城崎温泉では、7つある外湯の場所は全部確認したものの、「御所の湯」の一湯しか立ち寄れなかったので、今度は、開湯伝説など歴史を感じさせる「鴻の湯」や「まんだら湯」にも立ち寄りたいものだ。
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