今から丁度30年前にペルーに行って、マチュピチュ遺跡、チチカカ湖、ナスカの地上絵等を見てきました。
旅の概要ですが、①ペルーの首都リマ、②インカ帝国の首都クスコ、③空中都市マチュピチュ、④チチカカ湖畔の街プーノ、⑤砂漠上の地上絵で有名なナスカの順に回りました。 第4回目(最終回)は、リマ市内観光とナスカの地上絵です。
[6日目]
プーノのホテル、イスラ・エステベスで朝食後、専用バスにてチチカカ湖の空の玄関フリアカへ。
フリアカ9:00頃発の飛行機で空路、アレキーパを経由し、首都リマへ。
リマ市内観光
14:00頃リマの空港(ホルヘ・チャベス空港)に到着。
リマは、太平洋岸に面した南米屈指の大都市。
車窓から見える広告。当時は、フジモリ大統領(1990〜2000年在職)の選挙ポスターも至る所に掲示されていた。
サン・マルティン広場
リマ旧市街にあるサン・マルティン広場。
グラン・ホテル・ボリバール
宿泊先のグラン・ホテル・ボリバール。サン・マルティン広場に面している。
サント・ドミンゴ教会
ペルー最古の礼拝堂…だが、改装済みのようだ。
大統領府
ペルーを制服したピサロの邸宅跡に建つ、ネオコロニアル風の建物。
リマ市庁舎
クリーム色でネオバロック様式の外観が印象的。
博物館
宗教裁判所の博物館。かなりの行列が出来ている。
天野博物館
ペルーに移住した天野芳太郎氏の博物館。旧市街から少し離れたミラフローレス地区の閑静な住宅街にある。ちょっと見たところ博物館のようには見えないが、古代インカ、プレインカのユニークな土器等が整理・陳列されている。
リマでの夕食
クスコの地ビールクスケーニャで乾杯!
リマで人気のピルセンビールと濃厚スープ。
アルパカ肉料理。
フォルクローレ・ショーが始まる。
カラフルな民族衣装をまとったダンサーによる踊り。
ダンサーは皆、紐のようなものを用いている。
日本人も引っ張り出される(笑)。
[7日目]
リマのグランホテル・ボリバールで朝食後、専用バスで約4時間かけ、ナスカ近くの太平洋岸にあるピスコ空港へ。
ピスコ空港からは、小型飛行機で30分程でナスカ空港へ。
小型機なので操縦席が近い。
ピスコ上空。
景色が良く見える。
ナスカ空港に到着。
ナスカの地上絵
ナスカの乾燥した大地(パンパ)には、コンドル、ハチドリ、サル、宇宙飛行士、幾何学模様等、大きいものでは約300メートルにもわたる地上絵が描かれている。
ここからは、5人乗りのセスナ機に乗って地上絵を見学する。全員は乗れないため、何組かに分かれ、先発隊が戻ってくるまで時間を潰す。待つこと約30分、戻って来た先発隊のメンバーは顔面蒼白で全員無言…何かとんでもない物でも見たのだろうかと、期待と不安が入り混じった気持ちになる。
このメンバーで、いよいよ出発!
不等辺四角形
飛行場から離陸して暫くすると、不思議な幾何学的模様が見えてくる。
宇宙飛行士
山の斜面に描かれた人物は、宇宙飛行士?宇宙人?
オウム
かなり見にくいが、丸い頭と横方向に伸びる翼が見える。
ハチドリ
縦方向に伸びる数本の羽が分かる。トンボのようにも見える。
コンドル
翼を広げたコンドル。翼の長さだけでも約70メートルあるらしい。
サル
見にくいが、上部には渦巻き状の尻尾が分かる。
植物と手
パンアメリカン・ハイウェイ沿いにある。左側は下側に向かって枝が放射状に広がる植物、右側は下側に指が伸びている手。よく見ると、何故か右手は4本しか指が無い。
各地上絵の上空に来ると、セスナ機が絵の真上で急旋回する。色々な角度から見れるようにするための配慮と思われるが、急ターンによる揺れで一気に酔い気持ち悪くなる。先発隊が戻ってきた時の顔面蒼白状態の理由が良く分かった。
ホテル・ツーリスタス・ナスカ
地上絵見学後は、ナスカで最上級のホテル・ツリースタス・ナスカへ。
パティオには広いプールもある。
季節の花が彩りを添えている。不毛の乾燥地帯ナスカとは思えない、南国風雰囲気。
このホテルでは、ナスカの地上絵研究に生涯を捧げたドイツ人マリラ・ライへ女史が静かに余生を送っていた。彼女は、自著「Mystery on the desert 」で、地上絵がカレンダーの役割を果たしていたことを主張。この本を購入して、マリラ・ライへ女史と記念撮影。
サイン入りのこの本は、一生の宝物。
ホテル内には、地上絵の写真も展示されている。やはり、右手は指が4本しかない(笑)。
ナスカ空港から帰路へ。
太平洋上空。
リマへと戻ってくる。
路上では、土産物が所狭しと並べられている。
日本人観光客が多いせいか、日本語の表示も結構多い。
リマから空路、メキシコシティ経由にてロサンゼルスへ。ロサンゼルスから大韓航空KE-001便にて帰国。
(終わりに)
30年前に撮った写真をパソコンに取り込み、時系列で追っていくと、30年前にタイムスリップして旅行している気分になり、当時の旅の感動がリアルに蘇ってきて、とても楽しい体験でした。
インカ人による、加工した石の面を巧みに合わせ、カミソリの刃一枚も入らないような精巧な石組みの技術は素晴らしいものが有りました。一方で、日本人も、昔から宮大工は、木材に切り込みを入れて嵌め込むことにより、釘や金物を使わずに木組みの手法によって神社や仏閣などを造ってきました。両者は、材料こそ違えど、相通じるものが有るように思えます。
元日本駐在ペルー大使フランシスコ・ロワイサ氏は、インカ帝国の皇帝は日本人だとする日本人ルーツ説を唱え、 「Manko Kapa」を執筆し、チチカカ湖の語源は、父(ちち)、母(はは)だと言及しています。また、インカ帝国の初代皇帝マンコ・カパックはチチカカ湖に降臨したという伝説もあります。
チチカカ湖のウロス島の島民の顔がどことなく日本人と似ていたり、タキーレ島の葦で造った家が日本の家屋の形と似ていたのも、当時は単なる偶然と思っていましたが、改めてペルー旅行を振り返ってみて、今は日本人ルーツ説により色々な点が一つの線につながってくるように思っています。
「sarorunの気ままなぶらり旅」では、これからも昔の遺跡旅行を今の視点で振り返ってみたいと思っております。これからもよろしくお願いします。
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